「藤之宮」と呼ばれた春日神社

宝暦8年(1758)以降に刊行された『新撰増補大坂大絵図』には、「野田村・野田藤」と地図上にも野田藤がはじめて登場し、「大坂冬の陣」以降衰えていた野田の藤は、ほぼ完全に復興したようである。この復興に地元の豊かな商人米屋(山名)磯兵衛が力を貸した。磯兵衛が立てた「山名碑」と呼ばれる道標は区内各所に残っている。宝暦9年(1759)7月、藤氏十一代宗左衛門は京都の吉田家から藤原和泉守延敏なる神官名と共に「藤之宮」の名をいただいた。 それ以来、春日神社は「藤之宮」と呼ばれるようになった。そのなごりは、浦江の聖天さん(了徳院)の境内の奥に「ふじのみや」と刻まれたおそらく道標として使われた石灯籠に残っている。“Fujinomiya”(藤之宮)の名は、“NodaFuji”(野田藤)の名と共に、イギリスの文献にも紹介されている。『Wisterias, A comprehensive guidePeter Valder(1995)P73~104

「下の天神」に残る山名碑
「下の天神」に残る山名碑
浦江の聖天さんの境内に残る「藤之宮」への道標
浦江の聖天さんの境内に残る「藤之宮」への道標

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